リチャード・セネット著, 北川 克彦, 高階 悟訳.
『公共性の喪失』. (晶文社. 1991年)
ニューヨークで第二次世界大戦後に建てられたビルの一つに入ってみたとしよう(p.28f.)。その摩天楼は可視性の美学に基づいて設計されている。全面ガラス張りの壁は、建物の内と外の区別をなくしているかのようだ。しかし、ビルの一階に設けられたホールのベンチに腰を下ろしていると、あたかも自分が展示されているかのような、非常に落ち着かない気持ちになってしまう。そこは公共の空間でありながら、実際には二階以降の各オフィスへと通じるコンコースとしてしか機能していないためである。公共空間の存在が提示されながらも、実際にはその公共性は生きたものではない。20世紀における建築。それは、現在における公共空間の死を象徴しているのだ。
セネットは、こうした「公共性の喪失」がどのようにして生じたのかを歴史的な経緯を基に検証している。
近代的な意味での公共性が成立したのは、18世紀半ば、すなわち都市が急激な発展を始めた時であった。広場、公園、劇場といったものが公的な空間として機能するようになったのは、まさに見知らぬ者たちが交わりあう都市においてであった。が、当時においては、見知らぬ者を全く自分に関係ない人間として放置するようなことはなかった。交友関係を結ぶことはないにしても、見知らぬ者と自分とがいかなる関係にあるのかを意味づけようとする強い欲求がそこに働いていたのである(p.93)。その結果、18世紀の都市においては、公的な場における服装や立ち居振る舞いを見れば、その人がどのような人間であるかがすぐに分かる仕組みが出来上がっていた。18世紀の中頃より、パリとロンドンでは、社交活動の一つとして街を歩くことが今までになかった重要性を獲得し、人々はこの時代に整備されるようになった公園という場所を歩き回った(pp.126-127)。そこですれ違う人々との一瞬の交流を通して、彼らは相手の地位を認識し、かつ自分の地位を認識したのであった。この時期においては、人々はどのような服装をし、どのように振る舞うべきかを心得、自分の役割を忠実に演じていたのである。1749年のロンドンにおいて、舞台と街が「文字通りに」混合した社会になったという指摘がなされたが、それは全く正しい認識であった(p.99)。1750年代の演劇においては、観客が俳優に混じって舞台を練り歩き、友人に手を振るといった光景が日常的に見られたのである(pp.113-114)。
1852年、パリに新手の小売店が登場した(p.203)。この店に入った客は、買わねばならないという義務感なしに自由に商品を見て回ることができたし、それぞれの商品に付けられた値札通りの値段でモノを買うことができたのであった。その方式は、値切る値切らないという一連の儀式を廃し、買い手と売り手によって演じられる演劇的要素を取り除いたのであった。パブリックな場で買い物をするという行為は、個人的かつ受動的な経験となったのである。その最終的な帰結が百貨店という形態であった。言うまでもなくそれは、工場によって大量生産された商品を大量に販売するという資本主義的発展の帰結でもあった。
19世紀前半に生きたバルザックは、公的な場における人々の受動性を暗示している。彼の小説においては、18世紀と同様、登場人物は服装によって自らの位置づけを表現しているものの、かなり趣が異なっている。19世紀の人々は、公的な場においては自分の個性を隠し、自らの性格が不本意に露見することを恐れているのである(p.227)。それは、神々が後退し、世俗的な世界観が登場したことの帰結であった。人間は、神の助けなくして公的な場に登場し、個性を発揮するチャンスを与えられた瞬間、全く一人だけで舞台に上がることに不安を感じ、個性を隠す方向に逃げてしまったのである。この点に関するセネットの説明はやや不十分な気もしないではないが(pp.214-219)、19世紀に人々が工場で生産された既製服を着るようになり、地味なファッションで身を包むようになったのは確かであった。ヴィクトリア朝時代のシャーロック・ホームズは、そうした時代に活躍した ―― もちろん架空の ―― 人物である。彼は、「袖や親指の爪」といった細部が暗示していることから依頼人の個性を明らかにし、その人をびっくりさせると同時に、個性が暴露されることへの恐れを抱かせるのであった。また、個々の自発的な欲求を抑えることによって新たな病理が発生し、それに対応する精神分析学という治療法が19世紀末に登場したというのも偶然ではあるまい。
人々は、公的な場において自らの個性を抑圧する代わりに、劇場やコンサートにおける個性の解放を楽しむようになった。その点は、ヴィルトゥオーゾ・ピアニストであったフランツ・リストの有名な言葉、「コンサートは ―― 私自身だ」に具体化されている(p.281)。観客とパフォーマーは明確に区別されるようになり、観客はパフォーマーによって演じられる個性を黙って見聞きするだけの存在となった。1850年代までには「まともな」観客とは、静かに座席に座っている人物のことを指すようになり、1870年代までには、交響曲の楽章の切れ目で拍手する人物は「マナーを知らない」客と見なされるようになったのであった(pp.290-291)。リヒャルト・ヴァーグナーが、客席の照明を落として舞台に観客の注意を集中させるようにしたのも、そうした変化の表れと言えよう。また、観客は、もはや自分の力でパフォーマーの個性を判断する力も失い、この時期に書かれるようになった新聞の音楽批評やプログラムの解説に依存するようにもなる。結果として、19世紀においては、公的領域への個性の侵入が強く求められるようになったと言えるだろう。だが、それは観客自身の個性ではなく、公的問題に解答を示してくれる卓越した個性でなければならなかった。オーケストラにおいてすべてを統轄する指揮者という個性が誕生し、その役割が増大し始めたのと平行して、政治の世界においても優れた指導者が望まれるようになったのであった(p.315)。
公的領域への個性の侵入は、ナルシシズムと破壊的ゲマインシャフトへの道を開くことにもなる(p.309)。観客としての大衆は、自らの個性を抑えるという禁欲主義を貫きながら、カリスマ的指導者の個性へと陶酔していく。カザルスを偉大な人間として認知することはチェロ奏者としての彼の芸術を汚すものではない。だが、政治家の個性に惹かれることは、大衆の関心を政治の本質から逸らし、政治の中味を「減じる」ことにつながっている(pp.399-400)。ニクソンは有名な「チェッカーズ演説」(1952年)において、数百万のテレビ視聴者の前で涙を流して見せ、いかに飼い犬のチェッカーズを愛しているかを語ったのであった(pp.389-390)。だが、それは他方で、ニクソンの政治的スキャンダルを忘れさせ、大衆の目を彼の平凡な日常生活に釘付けにする効果を生み出したのである。
結局のところ、個性に飢えた空虚な大衆社会を生み出したのは、資本主義的発展の帰結なのかもしれない。だが、都市を設計し直して、お互いの顔が見える小規模なコミュニティを復活させようとする試みは ―― セネットによれば ―― 明らかに間違っている(p.408f.)。確かに、親しい人々によって構成されたコミュニティの中で、人々は「本来の自分」を取り戻し、人間らしい生活に「復帰」できるように思われる。だが、小さな人間集団においても、個々人の自信のなさが完全に解消されるわけではない。逆に、ゲゼルシャフトでなくゲマインシャフトを求めようとする衝動は共同体の一員であり続けたいという強迫観念を生み出し、コミュニティ内における相互監視の強化、コミュニティの外に対する過激な排除をもたらしているのである。破壊的ゲマインシャフト、人類学の用語で言えば「擬似種形成」への危険がここに存在しているのだ(p.428)。
自信を喪失した人々は、現在、親密さにあふれた暖かな私的領域へと逃避している。人々が公的領域に関心を持つのは、それが個性を持つ時だけである。人々は政治家の個性を信頼して投票し、空虚な公共空間を親密さで満たしてもらえる日を待ち望んでいる。だが、高度に発展した資本主義社会に見合う大規模なコミュニティの実現は幻想でしかない(p.470)。にもかかわらず、人々が公的領域への個性の侵入を許してしまったために、彼らは権力の現実について理解できなくなり、現状の問題が放置されてしまったのであった。今、我々が思い出すべきは、人々は未知のものと出会う過程を通じてのみ成長するという点であろう。それは、見知らぬ者の集まりとして都市を再評価することに、ある意味では、18世紀における都市の有り様を復活させることにもつながっている。
以上が本書の内容である。セネットの出した結論が正しいかどうかはさておき、私は彼の用いた分析手法に大いなる親近感を覚えた。セネットのやり方は、いくぶん、精神療法の色彩を帯びたものであり、当然のことながら、原因がAで結果がBといったような単純なものではない(cf. p.184)。「治療」のある段階で、原因はこれだと簡単に納得してしまったとすれば、それは分析者の見方を固定させてしまうことになるだろう。そもそも、分析者自体、社会の中の一存在である。ある説明によって分析者が納得した時点で、分析者が変化し、社会の見え方も変わっていくはずである。そうなれば、社会の変容を説明する諸要因の束をほぐし、もう一度織り直す必要に迫られることであろう。たとえ、最終的に織り合わされた束が最初に試みられた説明と同一のものになったとしても、それは異なった意味を持って分析者に語りかけて来るはずである。
自分の求めていたものにピタッとはまる本に出会うというのは幸せな経験であると同時に、不幸な経験でもある。私自身の研究上の悩みは本書によって大いに軽減されたが、それはある一方で、思考を停止してしまうという落とし穴にはまることをも意味している。セネットの提示した魅力的な「精神療法」に対し私自身の「方式」をこれから考えていかねばなるまい。
2000年4月16日記
[付記]99年度に読んだものの中では最も刺激的な本であった。