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阿部 安成, 小関 隆, 見市 雅俊, 光永 雅明, 森村 敏己 編
『記憶のかたち ―― コメモレイションの文化史』 (柏書房. 1999年)

小関 隆, 松浦 京子, 森本 真美, 光永 雅明, 井野瀬 久美恵 著
『世紀転換期イギリスの人びと ―― アソシエイションとシティズンシップ』
(人文書院. 2000年)


 記憶とは、過去を認識しようとする営みであり、年代記のように、過去の出来事が順序よく配列されたようなものではない。特定の出来事が個人の認識に沿う形で記憶される一方、膨大な量の出来事が忘却されていくのである。また、個人が様々な集団の中で生き、集団の中でアイデンティティーを確保している以上、その記憶は集団の記憶、すなわち「公共の記憶」と無関係ではいられないであろう。歴史学とは、その「公共の記憶」を「学術的」な方法によって権威付けしようとする営みである。歴史学は、「客観的」な方法によって過去の「真実」を拾い出し、特定の集団に存在保障を与える企てに加担してきたのであった。その最たるものが、ネイションという集団の存在を正当化するナショナル・ヒストリー(国民の歴史)であったことは言うまでもない。

 その点では、近年、歴史研究者の間で一種の流行となっている記憶に対する問いは、最近の「ナショナル・ヒストリーを越える」試みとも密接に関わりを持っていると思われる。ここでは、この「脱国民史観」の観点から、二冊の本についてコメントを加えてみることにしよう。

 まず、『記憶のかたち』は、コメモレイション(記念祭、祝典、commemoration)という形で表れる記憶に着目した論文集である。阿部論文では、1909年に行われた横浜開港50年祭、光永論文では、19・20世紀転換期のロンドンで急増した銅像群、見市論文では、1605年から400年近くに渡って行われているイギリスの火祭り、「ガイ・フォークスの夜」に焦点が当てられ、その後、四名の論者がそれらの具体的な事例を踏まえつつ、記憶のあり方を問うことの意味を論じている。

 例えば、森村は「国民化」への抵抗の可能性を記憶の問題を通じて考えようとしている(pp.235f.)。むろん、それはナショナルな記憶に他の共同体の記憶が対抗する、という単純な図式ではない。阿部論文が指摘するように、横浜の開港と近代日本の発展が結びつけられることによって日本人であることと横浜市民であることが連動する場合もあるし、フランス革命に対抗して「フランス国民」に同化することを拒否したヴァンデ地方のケースにおいても、実は、革命政府に抵抗することによって初めてヴァンデ地方というローカルな一体性が獲得されたのであった。また、ナショナルな記憶にしても他集団の記憶にしても、それを受容する民衆の側で様々な「ずれ」や「読み替え」が生じている点も考慮しなければなるまい。19・20世紀転換期の大衆化の時代には、かつては顧慮されなかった民衆の記憶が公共の記憶の一部に組み込まれるようになったが(p.15)、小関が示唆しているように、その組み込まれ方は一様ではなかったし、公共の記憶にしても、そのすべてがナショナル・ヒストリーに収斂するものではなかったのである。

 次に挙げる『世紀転換期イギリスの人びと』(五本の論文とそれらを概観する序章から構成されている)は、任意団体(アソシエイション)の活動に焦点を当て、当時の人びとが抱いていたリスペクタブル(respectable)なシティズン、すなわち「良き市民」への思いを分析したものである。その点では、本書は記憶やナショナル・ヒストリーの問題を正面から扱った文献ではないが、アソシエイションが公共の記憶を生産し、それをメンバーに提供する機能を少なからず果たしていたことを考えれば、この本を「記憶の担い手」の問題として論じることも無意味ではあるまい。

 本書において興味深かったのは、中流階級、労働者、そして女性による様々なアソシエイションの中で、「シティズンシップ」という言葉が重要視され、メンバーに対して「良きシティズン」であることが期待されたという点である。もちろん、団体によってシティズンシップの意味づけは異なっていたのであるが、そこで主張される「良きシティズン」が多かれ少なかれ「良きイギリス人=国民」のイメージとオーヴァーラップしていたことは確かであった。

 とすれば、19世紀末にイングランド人中心のいわゆる人種的アングロ・サクソニズムが台頭した際、イングランド人が「イギリスのシティズン」になることと、スコットランド人が「イギリスのシティズン」になることの間にはある種の溝が生じたはずである(p.26)。だが、小関のこうした指摘は、本書の中では詳しく検討されていない。無い物ねだりを承知のうえであるが、この論文集がイギリス社会(8頁の定義によれば、この言葉はイングランド、スコットランド、ウェイルズを含むものとされている)の検討を目的としている以上、そこにスコットランド人やウェイルズ人にとってのアソシエイションとシティズンについての論考が含められていないのが残念であった。

 ただし、アフリカ協会設立の立役者であるアリス・グリーンを扱った井野瀬論文は示唆的であった。アングロ・アイリッシュであったグリーンは、独自の文化を持ちながらも白人によるさまざまな「搾取」に苦しむアフリカの姿に文芸復興のなかにネイションの誇りを取り戻そうとしていたアイルランドの姿を重ね合わせ、最終的には「アイルランド国民の物語」を語り始めたのであった(pp.309-311)。もちろん、井野瀬論文の主眼は、グリーンがアイルランド・ナショナリズムに傾倒していく過程には置かれていないため、この点だけを取り上げるのは公平ではないのであるが。

 もう一点、気になったのは、ネイションと国家との関係である。例えば、松浦論文では、労働者にとってのシティズンシップの源泉が、国家というよりもむしろ地域社会や労働者組織に求められていた、という表現がなされている(p.153)。ここで見られるように、本書ではネイションと国家を厳密に区別する見方が全体として希薄なように思われる。ネイション・ステートという言葉、すなわちネイションと国家を同一視する見方が一般的になるのは戦間期であったことを考えると、この点には注意が必要であろう。『記憶のかたち』と同様、『戦間期イギリスの人びと』も基本的にはナショナル・ヒストリーに回収されない歴史を目指すのであれば ―― 少なくとも評者にはそのように思われる ――、スコットランドやウェイルズといったネイションそのものの重層性だけでなく、ネイションと国家との区別にも敏感になっておくべきであろう。

 近年では、「ナショナル・ヒストリーを越える」試みと同時に、自由主義史観に代表されるようなナショナル・ヒストリーに固執する試みも盛んである。いわゆる「国民の歴史」に見いだされる間違いを指摘することは簡単であるが、重要なのはその点ではなく、そうしたナショナル・ヒストリーへの回帰がどうして止まないのかを問うことであろう。「脱国民史観」の目的は、国民史が創られたものであるという「事実」を指摘し、他の共同体からの歴史観を提示することによって国民史を相対化することに留まらない。何故なら、近代歴史学そのものが、ネイションを頂点とする「世俗的」共同体に存在保障を提供するために生み出されたものである以上、「脱国民史」への試みは、近代歴史学そのものを越える試みにつながっているからである。国民史を相対化した上で、我々はどこに向かうのか。その点を今の歴史学は問わねばならないであろう。

 その意味では、公共の記憶に<わたし>を介在させるという手法を提示した『記憶のかたち』の阿部論文は興味深い(p.79、また、梅森論文の177頁以下も参照)。6月2日は横浜市の記念日であるという意味づけに対し、6月2日は私の誕生日でもあり、誰々にとっての記念日でもあり、、、、云々。そのような捉え方によって、歴史の意味づけに複数性をもたらすのである。だが、この方法によって公共の記憶が常に脱構築されるとは限られないし、そもそも、人間がこのような緊張を強いる作業に絶えるほど強いとは思えない。国民史の彼方に何があるのか? この問いについてはまだまだ考える必要があろう。

 2000年5月10日記


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