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アデライード・ド・プラース著, 長谷川博史訳
『革命下のパリに音楽は流れる』 (春秋社, 2002年)


 フランス革命の時期に、人々は音楽を聴く余裕などあったのだろうか? 本書を読むまで評者は革命期の音楽について何も知らなかったし、また、この時代に多彩な音楽活動が繰り広げられていたことなど予想もしていなかった。実際、フランスの音楽史においても、1764年のラモーの死からベルリオーズがデビューする1830年までの時期は、不毛な「空白期間」と位置づけられるのが一般的なようである(9-10)。

 だが、本書の著者、ド・プラースの説明によれば、革命期は音楽の社会的機能が飛躍的に拡大した時期であった。一般人の大部分が読み書きできなかったこの時期においては、例えば、シャンソンが政治的なメッセージを伝達する有力な手段として用いられたのである。1790年5月、「パリ通信(クロニック・ド・パリ)」のコラムには、こんな文章が掲載されている。

民衆にも手の届くシャンソン、革命の精神に根ざしたシャンソンが、通りを駆け巡っている(18)。

 恐怖政治の担い手となったジャコバン派も、シャンソンの絶大な効果をよく理解していたようである。当局はシャンソニエ(シャンソンの歌い手)たちに各種の特権を付与し、その活動を奨励していたという。1794年1月の国民公会では、或る議員が次のように発言している。

共和主義者の魂を揺り動かすには、革命的な讃歌や歌ほど有効なものはありません(21)。

 革命に伴って行われた一連の祭典においても、音楽は重要な役割を果たしたらしい。例えば、連盟祭(1790年7月14日)の会場となったシャン=ド=マルスでは、「祖国の祭壇」、30万の市民を収容できる観客席、そして会場の入り口となる凱旋門を建設する突貫工事が行われたが、その作業を先導する役目を果たしたのは楽隊であった。ボランティアとして集まったあらゆる年齢、あらゆる身分の男女と子どもたちが、《国民の鐘の音》と呼ばれる新しいシャンソンを口ずさみながら、喜々としてシャベルをふるい、手押し車を押したのだという(231-232)。

 こうした音楽事情を見ていて興味深いのは、革命期に使われた音楽、特に、革命祭典で用いられた音楽が聖と俗の混淆であったという点であろう。連盟祭においては、聖書の言葉で書かれた「愛国的カンタータ」がノートル=ダムで鳴り響き、《テ・デウム(天主よ、われら御身を讃え)》や《主よ、国王を救いたまえ》といった讃歌がシャン=ド=マルスで演奏されたのである(234ff.)。それは、革命が「古い社会」と「新しい社会」の拮抗する場であったということを示しているのであろう。立川の言葉を借りて言うならば(1)、それは、「伝統的心性」と「革命的心性」という二つの「心性」が出会う場であったというところか。

 また、注目すべきもう一つの点は、国民公会によってフランス初の国立音楽教育機関が設立されたという事実であろう(371ff.)。今も存在する国立音楽コンセルヴァトワールは、この革命期に設立されたのである。音楽院の設立に奔走していたベルナール・サレットは、1793年11月、自らの指揮下にある音楽家を引き連れて国民公会へと赴き、戦闘的な行進曲を演奏、次いで、大仰な演説をぶったのだという(384-385)。

... 国民祭典の遂行にとって必須な芸術家たちが養成されるのは、この音楽院においてであります。共和国の中心に置かれた300ないし400人の音楽家は、将来挙行されるであろう諸々の祭典に割り振られ、そこに気概とエネルギーを注ぎ込むでありましょう。...
... そして、それ[音楽院の設立]が実現した暁には、我が国の競技と祭典は、音楽と詩をみごとな装飾としていた、あのギリシアのスペクタクルの壮麗さに、いささかもひけをとることはありますまい。

 サレットの演説は居並ぶ議員の心を揺り動かしたのであろう。国民公会は、即座に音楽院の設立を宣言したのであった。言うまでもなく、この教育機関において重視されたのは管楽器奏者の養成であった。音量が小さく、しかも雨に濡らすことのできない弦楽器は、屋外での祭典に不向きだったからである。

 訳者の長谷川も指摘するように、フランス革命期の音楽は、宮廷的公共圏を体現していたバロック期の音楽が市民的公共圏を土台とする「ブルジョア的」=近代的音楽へと移行する上での「過渡期」を成していたのであろう(416)。否、ひょっとしたら、「過渡期」と言って片づけるにはもったいないほど、この時期には急激な変化が生じていたと言うべきなのだろうか。もし、シャンソンをはじめとする音楽が、幅広い層の人間を政治的に覚醒させ、国民的公共圏への道を用意していたとしたら。。。もし、革命祭典にふさわしい音楽様式が生み出されたことによって、音楽学上無視し得ない変化がこの時期に現れていたとしたら。。。そう考えると、この時期をフランス音楽史上の「盲点」として放置しておくのは非常にもったいない話である。いずれにせよ、本書は、音楽社会史的な観点から革命期に光を当てたという点において、貴重な存在だと言えよう(2)


 2003年3月27日記

 

  1. 立川孝一『フランス革命 ―― 祭典の図像学』 中公新書(933), 1989年, 26頁. <戻る>
  2. 本書に関連して、革命期に誕生し、フランス国歌となった《ラ・マルセイエーズ》を考察した、吉田進 『ラ・マルセイエーズ物語 ―― 国歌の成立と変容』 中公新書(1191), 1994年、は興味深い。また、少々時代は下るが、「ブルジョア社会」における音楽の機能を扱った、浅井香織 『音楽の<現代>が始まったとき ―― 第二帝政下の音楽家たち』 中公新書(938), 1989年、も読んで損はない本である。<戻る>


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