1890年頃のミラノにおいては、総人口26万人に対し、約3千名が劇場関係者として働いていたらしい(403)。3千人の関係者といっても、その給料で子供2人のいる4人家族が食べていたと仮定すれば ―― 実際にはもっと多かったはずである ―― オペラハウスからじかにもらう給与で生活していた人々の数は1万2千人ということになろう。それ以外にも、コーラスのエキストラをつとめる「臨時労働者」や飲み物や軽食の納入を行う業者が存在したことを考えれば、「産業」としてのオペラが如何に重要であったかが分かる。
とすれば、オペラに対して行われていた検閲の意味についても考え直す必要があるだろう。大がかりな準備の果てにオペラの上演を禁止したりすれば、インプレサリオ(興行師)や作曲家本人だけでなく、街全体の経済にも大きな打撃を与えてしまうからである。もちろん、反体制的な台詞や社会秩序を乱すパフォーマンスを修正させる、という重要な役割が検閲官には課せられていたが、そういった政治的な目的だけでオペラのチェックが行われていたわけではない。検閲官の主たる使命は、オペラをやみくもに禁止することではなく、その「品質管理」をすることだったのである。フランスやイタリア、ドイツ、オーストリアの各国において、政治的にリベラルな時期でさえ、検閲の必要性が広く認められていたのはその為であろう。
また、検閲官が「卓越した文学的素養」の持ち主でなければならない、とされていた点も興味深い。例えば、1830年代のナポリ王国においては自身でもオペラの台本を書く有名な喜劇作家、そして、弁護士でありながら小説や芝居も執筆していた人物が検閲官に任命されていたのであった(416-417)。彼らは、提出された台本を一方的にコントロールするのではなく、芸術的に高い水準を持ったオペラを作るべく、台本の執筆者本人とドラマ作りのあり方や美学上の問題について議論していたのである。
政治思想の研究者であるアーブラスターは、純粋芸術としての観点だけからオペラを捉える見方を批判し、オペラの持つ政治性を虚心坦懐に見つめるよう主張している(1)。しかしながら、ヴァルターやアーブラスターが、自らの著書において示しているように、オペラのすべてを狭義の政治で語ることもまた不可能である。その点は、検閲の例を見れば明らかであろう。
二つ目の例としてベルギーの九月革命(1830年)を引き起こしたとされるオーベールの《ポルティチの唖娘》を取り上げてみよう(435f.)。このオペラは、17世紀、スペイン統治下のナポリで発生した増税反対の暴動を描くものであったが、反乱そのものに対しては批判的な内容を持っていた。暴動を起こした主人公は、気が狂い、最後には命まで奪われ、その後には「道徳的」な旧体制が復活するからである。ところが、1830年8月25日、ブリュッセルでこのオペラが上演された際には、暴動の中心となる二人の二重唱「死んだ方がましだ、こんな惨めな人生ならば」が歌われると、熱狂した観客たちがオペラの続きを見ないで外へ飛び出し、法務大臣の官邸に火を放って革命を始めたのであった。
しかしながら、同じ1830年、七月革命前の緊迫した情勢下のパリでこのオペラが上演されたときには、観客はこの二重唱に何の反応も示さなかったという。デンマークにおいては、この二重唱の後で「国王陛下万歳!」と皆が声を合わせて繰り返したともいわれている。また、普仏戦争(1870/71年)前夜のフランスでは、《ポルティチの唖娘》は愛国心のシンボルとされ、パリでは戦勝祈願の豪華な上演が何度も行われたのであった。結局のところ、このオペラは本質的に革命的なものであったわけではないし、観客を暴動へと導く催眠術的旋律を含んでいたわけでもなかったのである。ブリュッセルの事件においては、数名の革命家があらかじめ示し合わせて行動を開始したのが直接のきっかけになったらしいが、もちろん、それだけで暴動を引き起こせたというわけでもないだろう。そこには、歌手の声質や歌い方、振り付けや衣装、聴衆の雰囲気など、様々な要素が絡み合っていたはずである。九月革命は、オペラと政治の結びつきを示す象徴的な事例であるが、それですら、両者の関係は単純なものではない。
とはいえ、「社会はオペラの外にあるのではなく、その本質と深く結びついている(6)」というオスカー・ビーの言葉(1913年)を否定する必要もないだろう。多額の資金と大勢の人間を必要とするオペラは、様々な事情や世相によって拘束されるものであり、疑いもなく政治や社会と密接に関連した存在なのである。だが、いわゆる「オペラ業界」が「ふつうの世間」とは隔絶した世界、すなわち「狂気の館」であったことが、社会 ―― 広義の政治 ―― とオペラの結びつきに関する研究を妨げてきたのも事実である。その点では、19世紀における業界の「裏事情」を明らかにした本書は貴重な存在だといえるだろう。ここではごく一部しか紹介できなかったが、本書においては、作曲家の収入から著作権概念の確立に至るまで、さまざまな点が取り上げられている。社会とオペラの関係、あるいは政治とオペラの関係を考えるうえで、本書は議論の出発点をなす文献である(2)。
註