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・吉野 耕作 『文化ナショナリズムの社会学 ―― 現代日本のアイデンティティの行方』
(名古屋大学出版会. 1997年)
・小熊 英二 『単一民族神話の起源 ―― <日本人>の自画像の系譜』
(新曜社. 1995年)
・西原 稔 『「楽聖」ベートーヴェンの誕生 ―― 近代国家が求めた音楽』
(平凡社選書(206). 2000年)


 最近読んだ本の中から、日本のナショナリズムに関わる本を三冊、取り上げてみたい。[なお、ここではナショナリズムという言葉を、独自の特徴を有する共同体への集合的信仰、という極めて緩やかな意味で用いている。その共同体が政治的なものであるかどうかはここでは問うていない]。

 吉野の著作は、ナショナリズムの理論に「消費」の視点を導入したという点で評価することができよう。従来のナショナリズム研究においては、ネイションなるものがエリートによって「生産」され、エリートの宣伝活動を通して、あるいは国家が管理する教育を通して伝達される過程に関心が偏っていたと言える。だが、「生産」されたナショナル・アイデンティティーが大衆によって無批判に受容されるわけではなく、実際には、個々のニーズに見合う形で「消費」され、それがエリートに向けてフィードバックされていく過程が存在するはずである。また、社会の中にはエリートと大衆という二種類の人間だけが存在するわけでもない。エリートによって「生産」されたアイデンティティーを大衆に分かりやすい形で伝達する「文化仲介者」の存在を無視しては、ナショナリズム伝播の実体が見えてこないのである(cf. pp.242-243)。こうした点を踏まえた上で、吉野は、「消費者」としての教育者と企業人に聞き取り調査を行い、ネイションなるものが「拡大再生産」されていく過程の一端を明らかにしている。

 評価されるべき第二の点は、日本ナショナリズムの研究に比較の視点を導入したということである。いわゆる日本人論においては、「我が民族」は外国人(特に西洋人)からは理解されにくい特殊な民族であるという言説が主流となっているが、そうした日本人論を批判・批評する立場の人間もまた、そうした自民族独自論が日本ナショナリズムの特殊性だと考える傾向を持っている。だが、自民族の特殊性を強調するという現象は「日本人」の「専売特許」ではなく、他のネイションにも広く見られるものである。その点を踏まえた上で、吉野は自民族独自論の類型化を行い、ついで日本人特殊論の位置づけを試みている。

 「消費」と「比較」という二つの視点は、いずれも従来の日本ナショナリズム研究には欠けていた視点であり、非常に斬新である。しかしながら、本書を読み終わってみると、これら二つの視点は有機的にかみ合っているのだろうか? という疑問が残る。「消費」の考察においては、1970年代〜80年代における日本人論が扱われているのに対し、「比較」の考察においては、国学の誕生から現在までのかなり長いタイムスパンが設定されているからである。もちろん、「消費」においては、実際の聞き取り調査を土台にした考察が行われているため、それを戦前の時期にまで拡大して行うことは不可能である。だが、タイムスパンの違いに対する「断り」がないまま、二つの視点が並存させられているという点には釈然としないものを感じた。

 続く小熊の『単一民族神話の起源』は、 ―― やや茶化した表現で申し訳ないが ―― 「コロンブスの卵」的な作品と評することができる。現在の言論空間においては、「ナショナリスト」によって日本は単一民族国家であると声高に主張され、「進歩的知識人」がそれを否定する、という構図が一般的である。だが、戦前の日本においては、大日本帝国は単一民族の国家ではないという言説が、しばしば政府の側から発信されていたのである。多くの読者はこの事実に衝撃を受けることであろう。

 だが、よく考えてみれば、この事実にそれほど不思議な点はないことが分かってくる。1895年に台湾を、1910年に朝鮮を併合した日本は「れっきとした」多民族帝国であり、自らを単一民族国家であると声高に主張できるような状況ではなくなっていたからである。だが、戦後の日本においては、いつの間にか「単一民族神話が跋扈している」という神話が成立し、「進歩派知識人」にとっての攻撃の対象となったのである。その点では、「単一民族神話」を信じている「ナショナリスト」と同様、「進歩派知識人」もまた、神話に拘束された存在でしかない。自らのナショナル・アイデンティティーが創出されていく過程を「客観的」に考察することは、それだけ難しいということであろう。自民族独自論にまつわる言説もそうであったが、自己のアイデンティティーに張り付いた神話性を引き剥がすためには、よほどの注意が必要である。

 最後に西原の著作を取り上げてみることにしよう。言うまでもなく、同書は、直接に日本のナショナリズムを扱ったものではなく、前二者の著作と同列に扱うことのできない作品である。また、この本は、19世紀の「近代化」過程におけるベートーヴェンの受容を日本とヨーロッパに分けて論じたものであり、日本の部分だけを取り上げて評価するのは著者に対して失礼であるようにも思われる。だが、日本とヨーロッパにおいては受容の文脈が異なっており、実際、本書においても、前半と後半の記述が上手くつながっていないことを考えると、後半部分を切り離して前半だけで一書をなすべきであったように思えなくもない。日本における西洋音楽の受容史というジャンル自体、まだまだ未開拓の分野であるし、ナショナル・アイデンティティーの形成を考察するうえでも、重要な示唆が得られると思われるからである。

 そもそも、日本においてベートーヴェンに対する関心が飛躍的に高まったのは、大正デモクラシーの時代であったと言えるだろう。国家よりも個人の有り様に関心を持ち始めた当時の知識人は、ロマン・ロランによって描かれたベートーヴェン像に瞬く間に魅了されていったのである。彼らにとってのベートーヴェンとは、「生」に対する意味づけをしてくれる存在であり、いわば「鳴り響く哲学」なのであった。少々時期は下るが、昭和14(1939)年に発売されたトスカニーニ指揮、NBC交響楽団演奏の交響曲第五番のレコードが、四枚組で15円(平均月収の約四分の一)もしたにもかかわらず、五万セットも売れたのである。現在と比べるとクラシック音楽を「消費」する層はかなり限定されていたとはいえ、ベートーヴェンの人気は絶大なものであった。

 ところが、国家主義的な傾向が強まるにつれて、「借り物」ではない「日本民族固有」の音楽性が追究され始める。西洋音楽の影響を受けた「日本人」は「変態的」であり、真の作曲家にはなり得ないという言説が登場し(1933年)、ベートーヴェンの音楽を排斥する傾向が生じたのであった。だが、彼の音楽が完全に否定されることはなかった。太平洋戦争の最中にあって、学徒出陣する学生のために、あるいは「八紘一宇の大理想達成」や「建艦資金献納」のために、「第九」が演奏されたというエピソードは、当時における「屈折した」ベートーヴェンの受容を伺わせるものである(p.115)。

 では、こうしたベートーヴェン像は、日本における自己イメージの形成に対してどのような影響を与えたのであろうか? 今の段階では、評者はこの疑問に答える術を持っていない。だが、西洋化=「近代化」と自民族独自論との間で揺れ動く「日本人」の「自画像」が西洋文化の受容という側面からも垣間見えている、少なくともそう言えるのではないだろうか?

 ここで挙げた三つの著作は、視点や方法論は全く違うものの、いずれも、1990年代に生じたナショナル・アイデンティティーに対する見方の変化を何らかの形で反映しているように思われる。いずれ、評者はこの変化を系統的に説明してみたいと考えているが、今回の書評はそれを準備するためのいわば「覚え書き」である。

 2000年11月20日記


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