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リンダ・コリー. 川北 稔監訳
『イギリス国民の誕生』 (名古屋大学出版会. 2000年)


 E.J.ホブズボームは、「外敵に対し団結することほど、ばらばらである人びとを結びつけるのに効果的な方法はない」と述べている1)。確かに、それは感覚的によく分かる話である。仲間の間での共通点を見つけだすよりも、宿敵としての「奴ら」に対抗し、一致団結するという構図を提示した方が、はるかに仲間同士での一体感を得やすい。その点はネイションという共同体についても同じであろう。ネイションを「想像の共同体」と定義した B.アンダーソンの言葉を借りれば、それは、「敵(=他者)を想像することによって成立する共同体」なのである。

 他集団と自集団を区分する境界線を創り出すことによって形成されていくネイションのイメージ。この点に着目してネイションとナショナリズムの発生過程を見る立場を ―― 吉野耕作の分類法に従って ―― 境界主義と呼ぶことにしよう2)。意外ではあるが、既存の研究においてこの立場からナショナリズムを論じたものは極めて少ない。社会人類学の領域において1969年に出された F.バルト編の文献が挙げられるぐらいである3)。その点では、「イギリス的なるもの(Britishness)」の形成を境界主義の立場から明快に論じてみせたコリーの著作は、従来のイギリス史研究においてだけでなく、ナショナリズム研究の文脈においても重要性の高い作品である。

 彼女によれば、「イギリス人意識」を形成するうえで最も重要な役割を果たしたのは、敵としてのフランス・イメージと敵としてのカトリック・イメージであった。17世紀末から19世紀初頭まで、実に130年間にわたってフランスと敵対的な関係にあったことが、スコットランド人、ウェールズ人、イングランド人といった差異を忘却させ、宿敵カトリック(=フランス人)に対抗する「神に選ばれし者」という一体感を創り出したのである。例えば、1745年に初めて公衆の前で歌われ、1800年代の初頭になって「ネイションの賛美歌」、すなわち国歌と呼ばれるようになった「ゴッド・セイヴ・ザ・キング」には、イギリスにおけるナショナル・アイデンティティーと宗教との結びつきが良く表れている(47-48)。

 コリーの著作において、評価すべき第一の点がこうした境界主義的視点であるとすれば、第二の点は、「イギリス的なるもの」への「下からの」参画を描き出したことであろう。1804年、いよいよナポレオンが攻めてくるのではないかという恐怖が頂点に達しようとしていたとき、約17万6千人のイギリス人が、民兵、正規軍、私設義勇軍のいずれかにすでに所属しているという報告がなされ、さらに、48万2千人がフランスの侵攻に際して戦う意志を持っている、とみなされたのである(307)。もちろん、そうだからといって、下層民のすべてが一様に「イギリス人意識」を獲得していた、というわけではない(314-323)。義勇軍に志願した者の中には、戦争による失業で生活に困っていた者もいただろうし、雇用主や地主の圧力の下、仕方なく参加した者もいたことであろう。また、義勇軍で顔を売っておくことが、将来の儲けにつながると考えた肉屋もいたはずである。あるいは戦場に「男のロマン」を求めた夢見る青年もいたのかもしれない。だが、様々な動機が働いていたにせよ、多数の若者が「上からの」呼びかけに ―― わりと素直に ―― 応じた、という点は見落としてはならない。

 また、義勇軍として動員された人びとの多くは、「イギリス人である」という体験をすることになった。1803年以降、義勇兵は出身地だけでなく、命令に応じてイギリスのすべての場所に送られる可能性を持つことになったため、出身地も言葉も違う人びとが顔を合わせる機会が大量に提供されたのであった。今まで、生まれた土地ぐらいしか知らなかった人びとが、「国土」の広がりを自覚し、これまで会ったことない地域の人間を仲間として意識するようになったのである。もちろん、ここで獲得された「イギリス人意識」は、まだまだ曖昧なものであったし、時には、「上から」もたらされた「イギリス的なるもの」に反するものであったかもしれない。しかし、「イギリス的(Britishness)」という一つの言葉で呼ばれるような何かが、人びとの中に生まれつつあったことは否定できまい。

 コリーの言うように、「イギリス人意識」が反カトリックという価値観で構成されているとするならば、イギリスにおけるアイルランド問題は、非常に分かりやすいものとなろう。イギリスは、ウェールズやスコットランドといった「個性的」な地域を含む緩やかな統合体としてまとまっているのに、何故、アイルランドとは上手くいかないのか? 評者は昔からこんな疑問を抱いていたが、本書は、この点に見事なまでに答えてくれる作品である。だが、―― 評者がひねくれているためかもしれないが ―― こんなに分かりやすくて良いのか、という疑問がないわけでもない。

 1815年、イギリスはワーテルローの戦いで勝利し、「宿敵」フランスを打ち負かすことに成功する。だが、敵を失うということは、「イギリス的なるもの」の土台を失うということでもあった。さらに、ナポレオンに対抗するために1800年にアイルランドを併合したことが、それに拍車をかけることとなった。カトリック的なアイルランドを包摂することにより、「プロテスタント的イギリス人」という枠組みが通用しなくなったからである。コリーによれば、この時以降、「イギリス人意識」はプロテスタント一辺倒ではなくなり、先駆的な議会制度を持つネイション、いち早く奴隷制を廃止したネイション、という位置づけによって、「ブリティッシュネス」が補完されていったようである。だが、プロテスタント的価値観が一掃されてしまったわけではない。「イギリス人意識」と「アイルランド的なるもの」との相性の悪さは、「ブリティッシュネス」に残存しているプロテスタンティズムにその原因が求められるのであろう。少なくとも、コリーの主張を見る限り、そのように説明することはできる。

 しかしながら、本書において打ち出された主張の整合性を保つために、彼女はアイルランドへの言及を意図的に避けているようにも思われる。もちろん、本書の主眼は18世紀にあり、アイルランドへの言及がないからといって著者を非難することはできないのだが、この点に関しては何ともすっきりしないものを感じた。

 余談であるが、複数の訳者が長期間に渡って検討したというだけあって、本書の邦訳は非常に読みやすいものであった。ただ、疑問に感じた箇所はあった。例えば、以下の一文は意味が分かりにくい。

しかし、ほかのヨーロッパ諸国でも、そうであったように、貧しく、不満を抱いていた人びとは、フランス軍の侵攻が国内問題を解決する絶好のチャンスとは考えなかったが、事情はイギリスでも同じであった(324頁下段)。
 完全な誤訳とはいえないものの、こんなに分かりにくい文章にする必要はないであろう。例えば、以下のようにすればすっきりするはずである。
[案] しかし、ほかのヨーロッパ諸国と同様、イギリスにおいても、貧しく、不満を抱いていた人びとの大部分は、フランス軍の侵攻が国内問題を解決する絶好のチャンスとは考えなかったようである。
[原文] But no more than in other European countries do the bulk of those who were impoverished and/ or discontented seem to have viewed a French invasion as an attractive solution to their domestic problems. (p.310)

 2000年12月31日記

  1. 本書383頁に引用されている。原文は、E.J.Hobsbawm, Nations and Naitonalism since 1780: Programm, Myth, Reality, Cambridge Univ. Press, 1990, 1992(2), p.91.
  2. 吉野耕作 『文化ナショナリズムの社会学 ―― 現代日本のアイデンティティの行方』 名古屋大学出版会、1997年、pp.25-28
  3. Fredrik Barth, Ethnic Groups and Boundaries: The Social Organization of Culture Difference, Illinois: Waveland Press, 1969, 1998. また、日本の事例を扱ったものとして、次の著作を挙げておかねばならない。小熊英二『<日本人>の境界 ―― 沖縄・アイヌ・台湾・朝鮮 植民地支配から復帰運動まで』、新曜社、1998年。


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