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アラン・コルバン. 渡辺 響子訳
『記録を残さなかった男の歴史 ―― ある木靴職人の世界
1798-1876』 (藤原書店. 1999年)


 評者がプラハのアルヒーフ(文書館)で資料を見ていたとき、どうしようもない無力感に捕らわれたことがあった。閲覧していた資料とは、19世紀末の内務省文書であり、当時の体操団体についての監視記録である。だが、その大半はさしたる重要性を持たない報告であった。「謹んで閣下に報告いたします。○月○日、プラハの○○にて体操団体の集会が行われましたが、特に問題はありませんでした。以上」といった文面の紙切れが大量に出てくるのである。当然のことながら、これでは論文のネタにはならないから、もっと「刺激的なもの」を求めることになる。「祭典のパレードで、ドイツ人学生の集団が乱入し、けが人が発生した」などということになると、資料の閲覧も俄然、面白味を増してくる。もっと事件を、もっとスキャンダラスなものを、というわけだ。

 だが、ある日のこと。写真週刊誌の記者のように「刺激的な」ネタを探している自分にふと疑問を感じたのであった。元々、評者はオーソドックスな政治史からは見えてこない大衆(普通の人びと)の民族意識やナショナリズムを探るために、政党史から体操運動史へと「転向」したはずであった。大衆の間に人気があり、しかも、その日常生活に深く関わっていたソコル(体操団体)の活動を辿っていけば、大衆の「ネイション化」が見えてくるのではないか、そう考えて内務省の文書を読み始めたわけである。だが、今の自分が探しているのは、大衆の日常生活ではなく「事件」そのものであった。当たり前の話ではあるが、「事件」が起こっていないその他の時間は、「特に問題はありませんでした」という官吏の報告の中に埋没してしまっているのである。とすると、数ある報告書の中から「面白そうな事件」だけをピックアップし、それを「恣意的」に並べて論文に仕立て上げようという行為は、一体なんだろうか? それは果たして「歴史家」の仕事と言えるのだろうか? そんなことを考えているうちに評者はすっかりやる気を失ってしまったのであった。

 それからすでに三年ほど経ってしまったが、評者のこうした疑問が解消されたわけではない。もちろん、やる気を喪失したままでいるわけではないが、アルヒーフ資料を使うことへの一種の「恐怖心」は依然として残っている。二次資料を使う場合には、資料選択の際に働く「恣意性」をそれほど意識しなくて済むが ―― 本当はそれではいけないのであるが、一次資料を使う場合にはそうはいかないからである。しかも、お世辞にも良く整理されているとは言えないプラハのアルヒーフでは、「偶然」という要素にも翻弄されてしまう。自分がピックアップした資料は果たして一般化に耐えうるのか? もしかしたら、自分の知らないところに別の資料があるのでは? 猜疑心ばかりが膨らんでいく。

 前置きが長くなってしまったが、ここで紹介するコルバンの本は、こうした疑問に一つのヒントを与えてくれる書物である。彼は、ある村の出生届から「無作為」でピナゴ(1798-1876)という名前の木靴職人を拾い出し、彼の生きた時代を再構成する作業を行っている。しかし、ピナゴ本人については、結局のところ何も明らかにはなってこない。彼について分かるのは、生まれた年と死んだ年、結婚し子供を設けたという事実、それぐらいである。著者のコルバンとて、こうした「無名」の人物についてそれ以上詳しい情報を得られるわけではない。だが、彼は、ピナゴの親戚や近所の人びと、あるいは当時の慣習などに光を当てることによって、ピナゴ自身ではなく、ピナゴが見ていたであろう世界を描き出すことに成功している。その手法は全くもって見事という他はない。

 しかしながら、普通の人の普通の生活を描き出したからといってそれが何らかの意味を持つわけではないし、ピナゴの生活が現在の我々に何かを提示してくれるわけでもない。人間の日常とは、 ―― 現在においてもそうであるように ―― 平凡そのものだからである。だが、まずはこの平凡さに注目することが大事なのであろう。コルバンは或るインタヴューに答えて、「歴史家は空虚を指し示さなければならない」と述べているが、確かに一理ある主張である。歴史家は ―― 特に政治学系の歴史家は ―― 拾い上げた歴史現象に対して何らかの意味を付与し、歴史の「語り」からこの「空虚さ」を追い出そうと躍起になるのが普通である。そうしなければ論文が書けないからである。だが、アルヒーフの「空虚さ」と向かい合うためには、まずはこの有意味への強迫観念を解きほぐしてみることが必要なのであろう。

 2000年8月3日記


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