ヤコブ・ラズ著、高井宏子訳
『ヤクザの文化人類学 ―― ウラから見た日本』 (岩波書店、1996年)半ば好奇心で読み始めた本書であったが、あまりのおもしろさに最後まで一気に読んでしまった。著者は1986年から5年間にわたってヤクザ世界のフィールドワークを行ったイスラエルの文化人類学者であり、本書において日本社会の「闇」に位置する周縁文化を鮮やかに捉えている。
ここでの第一のポイントは、単なる社会のはみ出し者としてではなく、日本社会を裏側から映し出す鏡としてヤクザが存在する、という点であろう。そもそも、個人、あるいは集団にとっての他者は、自己のアイデンティティーを確保するうえで重要な役割を果たす存在である。個人や集団の中に最初から出来上がった「人格」があるわけではなく、他者との関係において「自分」というものが発見され、構築されていくことを考えれば、まさに他者イメージの中に自己の姿が投影されていると言うことも可能であろう。そのように考えれば、周縁的な存在であるヤクザこそが日本社会における「他者的自我を表象」しているという著者の指摘にも納得がいく。
第二のポイントは、ヤクザ自身の中に自らを「規範的存在」として位置づけようとする極めて強い欲求が働いている、という点である。もちろん、彼らの多くは社会を「ドロップアウトした」人々であり、そのことを誇りにし、時にはそれを公然と主張することもある。だが、その一方では、義理人情や武士道、仁侠といった「純日本的」な伝統と規範を重んじ、国粋主義的な活動に関わるなど、「日本人である」ことにもこだわり続けている。被差別部落の出身者や在日韓国/朝鮮人のメンバーが相対的に多いにもかかわらず、ヤクザの活動において右翼運動が重要な意味を持ってくるのは決して偶然ではない。彼らは、周縁的存在であるからこそ、明快な拠り所を与えてくれる愛国主義に惹かれていくのである。
本書については、研究対象との距離が十分にとれていない、という批判も可能であろう。実際、本書の記述の中には、日本社会が創りだし、ヤクザ自身が再生産しているロマンティックな「極道イメージ」に捕らわれてしまったと思われる箇所が散見される。しかしながら、ヤクザという特殊な集団の中に入り込んでフィールドワークを行い、新しいタイプの日本論を著したという点にまずは敬意を表すべきであろう。そして、同じように外国研究に取り組む者 ―― 評者の研究対象はチェコ ―― として、ここまで深く「他者」を観察できる著者に対して感嘆の念を抱いたことも率直に告白しておかねばならない。
1999年6月記