[目次] [前頁] [次頁] [HOME]


前進する時間への衝動
ベートーヴェンのメトロノームとフランス革命



 1789年7月14日。パリのバスティーユ監獄が襲撃され、国王軍が民衆の前に敗北を喫した。それを聞いたルイ16世は「これは反乱(revolte)だ」と叫んだという。すると使者は王の誤りを訂正した。「いいえ陛下、これはレヴォルシオン[革命](revolution)です」。

 REVOLUTION は、もともと天文学上の用語であり、天体の回転を意味する言葉であった。ルイ16世の誤りを指摘した使者もまた、この言葉を回転のイメージで捉えていたのである。REVOLUTION は、すでに確立された地点に回転しながら戻る運動、すなわち、あるべき秩序への回帰を暗示する言葉であった。その意味では、この日に発生した事件は「反乱」ではなく「復古」なのであった。(ハンナ・アレント『革命について』ちくま学芸文庫, 1995年, pp.58ff.)

 ところが、この事件が誰も予想しなかった方向に向かうにつれ、この事件を指す REVOLUTION という言葉の意味も変化し始める。天体の循環運動という静的なイメージではなく、軸の外れた車輪があらぬ方向へと向かっていくという感覚が REVOLUTION にまとわりついたのであった。1789年の事件を体験した人びとは、まさに「革命的激流」に乗って新しい時代への航海を始めたのである。彼らにとっての人生は、もはや「永劫回帰」に支配される消極的なものではなかった。「革命」を支持する人びとは、未来へと向かう直線的な時間の流れのなかで、主体的に自分たち自身の人生を生きるようになったのであった。これに対し、或る「反革命」論者が前進する時間への不安を抱き、次のように述べたのは偶然ではない。

時間は何か不自然でいかがわしいものだ。時間は決して望まれるものではない。終わらせるべきものなのだ。(Friedrich Heer. Europa: Mutter der Revolution, 1964, p.25)

 他方、「革命」=共和思想の信奉者となったベートーヴェン(1770-1827)が「私たちにはもはや正規のテンポ[テンポ・オルディナーリオ](Tempo ordinario)はない」(大崎 滋生 『音楽演奏の社会史』 東京書籍, 1993, p.248)と述べたのも、ある意味では当然の帰結であった。世界の有り様が静的な循環運動と理解されていた18世紀までのヨーロッパでは、音楽の領域においても基準となるテンポ(四分音符=80ぐらい)の存在が明確に意識されていた。楽譜にテンポ・ジュスト[正しいテンポ](Tempo giusto)とかテンポ・オルディナーリオと書かれていれば、演奏家は迷うことなく要求されている速度で演奏できたのであった。ところが、18世紀後半のハイドン(1732-1809)やモーツァルト(1756-91)の時代になると、あるべきテンポではなく、ありたいテンポとしての「モデラート」が頻繁に使われるようになる。彼らは、曲のテンポが神や世界の秩序にとって望ましいかどうかではなく、人間にとって「適度」かどうかを問題にしたのであった。循環する時間から前進する時間へ。そして、神の時間から人間自身の時間へ。これがフランス「革命」前後に生じた変化であった。

 では、何故、ベートーヴェンは、知り合いからもらったメトロノームを喜々として使い始めたのだろうか?  言うまでもなく、彼は、メトロノームをテンポ・オルディナーリオを告知する機械として使ったのではない。ベートーヴェンにとって重要であったのは、そのテンポが自分にとって望ましいかどうか、という点であった。だが、音楽は、演奏されることによって初めて成立する芸術である。いくら作曲家が自分なりのテンポを想定し、「モデラート」や「アレグロ」といった速度表示を書き込んで見たところで、演奏家の感覚がずれていれば意味はない。「正規のテンポ」が存在しない無機質な時間の流れにおいては ―― 逆説的ではあるが ―― 同じく無機質な道具であるメトロノームを使わなければ、作曲家のテンポ感は伝わらないのである。

 「革命」とメトロノーム。確かにそれは奇妙な組み合わせであったかもしれない。だが、近代的な時間感覚の到来を考えるとき、この二つの要素は密接に絡み合ったものとして立ち現れてくるのだ。

 2000年5月31日記


[目次] [前頁] [次頁] [HOME]