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ハーモニクス(倍音)とリベラルアーツ
―― 中世的世界観とパイプオルガンの不思議な関係 ――


 ヨーロッパの主要な教会には、まず間違いなく壮麗なパイプオルガンが設置されている。教会の中に鳴り響くオルガンの音を聴いていると、特に信仰心を持たない筆者のような人間ですら、ある種の「神々しさ」を感じてしまうほどだ。

 だが、教会のパイプオルガンが我々を圧倒するのは、その絢爛たる概観や迫力ある重低音といった表面的な側面だけではなさそうである。ここでは、我々を「神の世界」へと誘う装置、すなわちオルガンの「倍音群ストップ」に着目し、バロック時代に完成の域に達したというこの楽器の「謎」の一つについて考えてみることにしよう。

秋元氏
写真: 第1回パイプオルガン演奏会
(1966年6月・奏者は秋元道雄氏)
出典: 『クラーク会館月報』 31号、1966年7月、1頁
 オルガンの原理自体は非常に単純である。この楽器は、管に空気が通ることによって発音する管楽器であり、その操作はピアノに見られるような鍵盤によって行われる。しかしながら、オルガンには数百本から時には1万本を越えるパイプが含まれており、個々のパイプを選択して自在に空気を送る複雑な送風機構が配されている。

 身近(?)な例で恐縮であるが、北海道大学の学生会館(クラーク会館)に設置されたパイプオルガン(以下、クラ館オルガンと略記)の場合、全体で 1,556 本のパイプが配されており、主鍵盤 Hauptwerk、副鍵盤 Schwellwerk、足鍵盤 Pedal の三つの鍵盤によって個別に空気が送られる仕組みとなっている。主鍵盤、副鍵盤からはそれぞれ9種類の音色を持つパイプ群が、足鍵盤については6種類のパイプ群が対応しており、全体では24種類の音色を奏することができる。さらに、カプラー(連結器)と呼ばれる装置により、主鍵盤に属する音色を足鍵盤に重ねたり、副鍵盤の音色を主鍵盤に重ねたりして音色に変化を持たせられるようになっている。演奏者は、ストップ(音栓)を使って風を吹き込むパイプの種類を選択し、特定のパイプだけを鳴らしたり、すべてのパイプを鳴らして大音響を発したりするのである。オルガンが一人で演奏するオーケストラなどと呼ばれる所以である。

 表1のストップ・リストから分かるように、オルガンは多種多様なパイプ群から構成されている。そもそも、オルガンという楽器は、一台一台が異なる設計であり、地域によって独自の発展を遂げてきたことから、同じようなストップでも異なる名称を持つ場合があるし、同じ名称でも地域や時代によって違うストップを指す場合もある。したがって、日本で使われているオルガンについても、ストップ名のカタカナ読みや邦訳が定まっていない場合が多く、日本語の文献においても原語のまま表記されているのが実状である。だが、そのままでは良く分からないので、ここでは敢えてカタカナ表記を行い、名称の由来について最低限の説明をしておくことにしよう。

 第一のタイプはパイプの形状を指し示すものである。例えば4番ストップのシュピッツフレーテ Spitzflote は先の尖ったフルート、10番のロアフレーテ Rohrflote は小さい管付きのフルート、といった具合である。第二は、ストップの音の高さを示しているものであり、基底音より1オクターヴ低い1番のズプバス Subbass や1オクターヴ高い9番のオクターヴ Octav などがある。第三のタイプは、6番のファゴット Fagott や15番のトランペット Trompete のように、特定の楽器に似た音を出すもの。そして第四に、鼻濁音を出す11番ストップのナザール Nasard や鋭い音を出す26番のシャルフ Scharff のように、音の特徴がそのまま名称になったものも挙げられよう。中には、「私に触れてはならない Noli me tangere」と書かれた偽のストップも存在するが、残念ながら(?)、クラ館オルガンにはそうした「遊び」の要素は含められていない。

 ストップ名に付されている 8' や 4' といった数字はフィート数であり、元々はパイプの長さを示す数値であった。8' と書いてあるストップであれば、そのストップに含まれる最低音C(ド)のパイプが8フィート(2.4メートル)の長さを持っていることになる。ただし、これは開管の場合であり、上端が閉じられた閉管の場合、同じ8フィートの長さであっても振動数が二分の一になってしまうため、実際には1オクターヴ低い音が出ることとなる。そのため、純粋に各ストップの長さを明記しただけでは、それぞれのストップが開管であるか閉管であるかを一々確かめない限り、実際に出る音の高さが分からず面倒である。そういった事情から、現在では、パイプの長さではなく音の高さに応じた数値を記すのが一般的となっている。クラ館オルガンの場合、8' のストップであればピアノと同じように押した鍵盤と同じ高さの音、4' のストップはそれよりも1オクターヴ高い音、16' のストップは1オクターヴ低い音となる。

Cの倍音
図版1: ド(C)の倍音とフィート数の対応(第1倍音から第16倍音まで)
出典: NHKオルガン研究会編 『オルガン音楽のふるさと』 NHK出版、1975年、186頁より作成

表2: 主要倍音の対応表
倍音フィート数実際に出る音
―― 16'1オクターヴ下の音
第1倍音8'基音(記譜音)
第2倍音4'1オクターヴ上の音
第3倍音2 2/3'1オクターヴ+完全5度上の音
第4倍音2'2オクターヴ上の音
第5倍音1 3/5'2オクターヴ+長3度上の音
第6倍音1 1/3'2オクターヴ+完全5度上の音
第8倍音1'3オクターヴ上の音
第12倍音2/3'3オクターヴ+完全5度上の音
第16倍音1/2'4オクターヴ上の音

 ただし、我々が一つの音を聞いていると認識している場合でも、実際に鳴っているのは厳密には単一の音ではなく、いくつかの音が複合したものである。例えば、ド(C)音の場合には、図版1に示したように左端のド(C)の音だけでなく、それより上の種々のハーモニクス(倍音)も同時に聞こえている。もちろん、すべてのド(C)音にこれらの倍音すべてが含まれているわけではない。どの倍音をどれぐらいの強さで含むかについては、音によって様々なのである。なお、音の本質的特性、すなわち音色は、この倍音の配合具合によって決定づけられる。

 興味深いことに、オルガンには、7番ストップのプリンツィパル Principal 8' (第1倍音)や9番ストップのオクターヴ Octav 4' (第2倍音)のように基音とオクターヴの関係にあるストップだけでなく、11番のナザール Nasard 2 2/3'(第3倍音)や24番のラリゴ Larigot 1 1/3'(第6倍音)のように、3度や5度といったオクターヴの関係にないストップも含まれている。例えば、ナザールを使ってド(C)の鍵盤を押した場合には、ド(C)より1オクターヴ・プラス5度高いソ(g)が、ラリゴを使ってド(C)の鍵盤を押した場合には、ド(C)より2オクターヴ・プラス5度高いソ(g1)が鳴るのである。こうした「イレギュラー」な倍音を持つストップが、このエッセイの主題となる倍音群ストップである。なお、基本となる音とオクターヴの関係にあるストップは基音群ストップと呼ばれ、倍音群ストップとは区別されている(ストップの分類については表3を参照)。

 また、倍音群ストップの中には、一つの鍵盤に複数のパイプが対応するストップも存在する。例えば、表1の13番ストップ、ミクストゥア Mixture には 4f (2' 1' 2/3' 1/3') という記号が付されているが、これは、一つの鍵盤を押すと4本のパイプが同時に鳴るということを示している。例えば、ド(C)音の鍵盤を押した場合には、譜例のように、第4倍音ド(c1)、第8倍音ド(c2)、第12倍音ソ(g2)、第16倍音ド(c3)の4音が同時に発せられる。つまり、パイプオルガンという楽器は、ストップ個別の音色に加え、倍音の組み合わせによる音色を混合させることにより、様々な表情を持った音色を数限りなく創り出していくことが可能なのである。その意味では、ストップをどのように組み合わせるかという点は、演奏者にとっての腕の見せ所であり、大きな試練でもあると言えるだろう。だが、こうした倍音配合の技術は、何故オルガンに必要とされたのだろうか?

2Cの倍音
譜例: ミクストゥアを使った場合

 そもそも、パイプオルガンが中世のキリスト教会において採用され、現在のオルガンに通ずる形を獲得し始めたのは、14世紀頃であったと言われている。元々声楽だけで典礼を行っていた教会が、オルガンを用い始めた理由について考えるためには、まず、リベラルアーツ(自由七科・自由学芸)という言葉について説明する必要があるだろう。

 ヨーロッパ中世の大学科目群を意味するこの概念は、古代ギリシアの、肉体労働から解放された自由人にふさわしい教養という考え方に起源を持ち、実利性や専門性に直結する学問と対立するものであった。ローマ時代末期の4〜5世紀に、このリベラルアーツは七つの科目に限定され、言語に関わる三科(文法・修辞学・論理学)と数に関わる四科(算術・幾何・天文学・音楽)から構成されるようになる。ここで注目すべき点は、数に関わる四科の中に音楽が含められていたことであろう。例えばプラトンは、この地上で起こるありとあらゆることが音楽と数学によって説明できると豪語したが、そうした感覚が中世のヨーロッパにも引き継がれていたのである。実際、数学と音楽の深遠なる関係を記した5世紀初頭の書物『音楽綱要』 De institutione musica が、オックスフォード大学では1856年まで、音楽理論の講義で教科書として使われていたのであった。

歴史的オルガン
図版2: ドン・ベド著 『オルガン制作者の技術』(1766年・パリ)より
18世紀のフランスオルガンの横断面図
出典: 秋元道雄 『パイプオルガン』ショパン、2002年、72頁
 その点からすれば、J・S・バッハが音楽のなかで数的秩序を表現しようとしていた事実も何ら驚くべきことではない。彼は、音楽という手段によって、宇宙の調和的世界、そして神の世界を提示しようとしていたのである。バッハの同時代人であったライプニッツも、音楽について「計算していることを意識しないまま魂が行っている隠れた算術の練習問題」と定義したのであった。こうした時代精神の中にあったという点では、万有引力の法則を発見したニュートンも同じであろう。彼は、天界の音楽的調和を発見したという古典古代の哲学に依拠しながら、太陽と惑星の位置関係を明らかにしようとしていたのである。なかでも、左右に張った弦の長さとそれを弾いて鳴る音の高さとの相関関係を発見した古代ギリシアのピタゴラスは、彼にとってのヒーローであった。自らをピタゴラス主義者と称していたニュートンは、太陽によってつま弾かれる弦の音によって惑星が動かされていくと信じて疑わなかったらしい。

 こうした世界観を提示するうえでは、整然と並んだパイプを持つオルガンは打ってつけの存在であった。音高と長さの数的関係がパイプによって可視化されるだけではない。各ストップに込められた一連の倍音が巧妙に配合されていくことによって、神の世界の有り様が耳に聞こえる形で示されるのである。筆者自身は、倍音をどのように配合していけば世界のイメージが浮かび上がるのか、具体的なことは何も分からない。だが、中世のキリスト教世界において、ハーモニクス(倍音)の組み合わせが重要視されたことだけは確かであった。その意味では、18世紀後半以降の世俗化の時代において、倍音の豊かさが軽視されるようになったのは決して偶然ではない。神の世界よりも人間自身の自己表現が追究されるようになると、パイプオルガンについても、調和的世界の提示よりは、圧倒的な重低音や強弱変化といったロマン派的な側面が重視されるようになったのである。

 中世的世界観とパイプオルガンの不思議な関係。それは、この楽器に秘められた数多くの「謎」の中の一つに過ぎないのであろう。オルガンの面白いところは、その内部に歴史が堆積している点である。この楽器の寿命は数百年と言われており、その内部には、中世に起源を持つパイプから19世紀に初めて登場したロマン派のパイプまで、それぞれに由来を持つパイプが地層のように折り重なっている。飽きずに「発掘作業」を続けていけば、その内、また新たな「秘密」が発見できることであろう。



表1: クラ館オルガンのストップ・リスト<本文に戻る>

番号ストップパイプの本数錫の配合比
(錫と鉛の合金)
P. Pedal C-f1 足鍵盤(30鍵)
1Subbass16' 30
2Principalbass8'前面管列3075%
3Pommer8' 3045%
4Spitzflote4' 3045%
5Octav2' 3060%
6Fagott16' 30
I. Hauptwerk C-g3 主鍵盤(56鍵)
7Principal8'前面管列, C-A Kropfgedack104675%
8Holzgedackt8' 49M745%
9Octav4' 5650%
10Rohrflote4' 5645%
11Nasard2 2/3' 5645%
12Waldflote2' 5645%
13Mixtur4f2' 1' 2/3' 1/2'22475%
14Dulcian16' 56M
15Trompete8' 5650%
Koppeln カプラー
16ManualkoppelII-I 
17PedalkoppelI-P 
18PedalkoppelII-P 
II. Schwellwerk C-g3 副鍵盤(56鍵)
19Weidenpfeife8'前面管列, C-A Kropfgedack104645%
20Koppelflote8' 12M4445%
21Principal4' 5660%
22Quintade4' 5645%
23Octav2' 5660%
24Larigot1 1/3' 5645%
25Sesquialter1-3f2 2/3' 1 3/5' (1 1/7')11245%
26Scharff3-4f1' 2/3' 1/2'20075%
27Rohrschalmey8' 5650%
28Tremulant 
 総計 1,556本のパイプ147501,359
(* Mはマホガニー材であることを示す)<本文に戻る>


表3: ストップの分類 <本文に戻る>

フルー管
(唇管)
Lippenpfeifen
基音群
Grundton
プリンツィパル族
Prinzipale
 2. Principal bass 8'
 5. Octav 2'
 7. Principal 8'
 9. Octav 4'
19. Weiden pfeife 8'
21. Principal 4'
23. Octav 2'
フルート族
Floten
 1. Subbass 16'
 3. Pommer 8'
 4. Spitzflote 4'
 8. Holz gedackt 8'
10. Rohrflote 4'
12. Waldflote 2'
20. Koppelflote 8'
22. Quintade 4'
倍音群
Mutation
Oberton
Aliquot
単列倍音管
Aliquot
11. Nasard 2 2/3'
24. Larigot 1 1/3'
多列倍音管
Gemischte Stimme
混合管
Mixtur
13. Mixtur 4f
26. Scharff 3-4f
複合管
Imitator
25. Sesquialter 1-3f
リード管(舌管)
Zungenpfeifen
 6. Fagott 16'
14. Dulcian 16'
15. Trompete 8'
27. Rohrschalmey 8'
<本文に戻る>


 2002年11月22日記


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