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バッハの「平均律」と空間のねじれ


 1997年1月、チェコのチェンバリスト、ルージチコヴァー(Ruzickova)が演奏するバッハの『平均律曲集』第一巻をプラハで聴く機会があった。ただ、その時、気がかりであったのは会場がチェコ・フィルの本拠地であるドヴォジャーク・ホール(ルドルフィヌム内)になっていた点である。普段はベートーヴェンやマーラーの交響曲が演奏されるはずの大きなホールで、なぜチェンバロ一台だけのコンサートが開かれるのだろうか。そんな疑問を抱きながら半信半疑で会場に行った。

 しかし、ホールでは実際に一台のチェンバロがステージに置かれ、ルージチコヴァーが現れてそれを弾き始めたではないか。演奏を聴いてみて納得したが、ルージチコヴァーはチェコでは大御所的な存在で、彼女のコンサートとなるとどうしても観客をたくさん収容できる大ホールになってしまうようである。が、しかし、安いチケットだからという理由で二階席に座ってしまった私にとっては、チェンバロはあまりにも遠い存在であった。ふと横を見ると、二階席の客のほとんどが彼女の音楽を聴くために身を乗り出して聴いているではないか。何とも不思議な光景であった。普通のオーケストラの演奏会であれば、客は椅子の背にもたれて向こうからやってくる音楽をただ受け止めるだけなのに、この演奏会では、ステージから離れた席の人たちが音楽の世界に参加させてもらおうと必死に努力をしているのだ。これは音量だけの問題ではなかった。そもそも彼女が創り出す音楽の世界が私が座っている席まで到達していないのだ。バッハの音楽が前提とする空間は、19世紀末に造られたドヴォジャーク・ホールという近代的空間にとってはあまりにも小さすぎたのである。

 プログラムの前半中に、一階席の一番前の席が空いているのを見つけた私は、休憩後、早速そこに席を移して後半を聴くことにした。その席からはルージチコヴァーの姿は見えず、ただチェンバロの脚と反響版が見えるだけであったが、演奏を聴くには充分であった。それは音量が十二分に聞こえるというだけの意味ではない。それは、彼女が創り出す調和の世界の中に自分が確かに存在するという満足感であり、多少大げさに言えば、至福の喜びを感じるという意味での充分さであった。バッハの「平均律」はハ長調から始まって24のすべての調を巡っていく体系的な曲集であり、それだけで一つの世界を形成している作品である。ルージチコヴァーはそれらの曲を一つ一つ丹念に弾き、最初に弾いたハ長調の曲をもう一度最後に演奏して、一つの世界、あるいは一つの宇宙を完結させたのであった。

 とすると、バッハの想定する空間が近代的な空間と比して違うのは大きさだけではなさそうである。ベートーヴェンあたりから始まる近代的音楽においては、何かを他者に向かって表現するという外向きの開かれた空間が前提とされているのに対し、バッハの音楽においては、それ自体で完結する閉じられた空間が前提とされているのだ。そこでは、誰かに向かって自らを表現するということは想定されておらず、あるべき世界の姿が呈示されるだけであり、作曲家個人の心情とか思想とかいったものは考えられていない。つまり、作曲家は一人の自立した個人としてではなく、宇宙の秩序を伝達するメッセンジャーとして、言い換えれば、宇宙の創始者=神の代弁者として音楽を作るのである。バッハが「神の国」を描く膨大な量の宗教曲を書いたのは決して偶然ではない。もちろん、彼が神の意志を人間に伝えるだけの聖職者的作曲家であったわけではないにしても。

 これに対し、近代音楽においては神の存在が相対化され、その代わりに自立した人間が表舞台へと登場することとなる。近代的個人=「市民」の発見である。神の意志が呈示される教会、あるいは神に代わって世俗社会を統治する国王が活動する宮廷、そういった場所は音楽を演奏する場所としてはもはや適切な場ではなくなっていた。近代において新しく登場した「市民」たちは、身分に関わりなくすべての人が同じ音楽を共有できる自分たち自身の公共空間をつくり始めたのである。コンサートホールはこうした空間の一つとして生まれたのであった。

 その意味においては、中世的な空間を前提としたバッハの音楽を、19世紀末に建てられた大きなホールで演奏することには問題がある。だが、そうだからといってバッハの音楽をその当時とまったく同じ条件の下で演奏すべきだというわけではない。楽器をバッハと同時代のものに交換し、小さな空間で演奏したとしても問題の解決にはならないのである。第一、演奏をする側にしても、それを聴く側にしても、禁断の果実 ―― 近代的な新しい価値観 ―― をすでに知ってしまっているのだから、バッハの音楽をその当時の「純粋な」感覚で受け入れることはできまい。逆に、そうした「不純な」心であるからこそできるバッハの「ねじれた」聴き方を我々は楽しむべきなのであろう。大きな空間で聴いたバッハの小さな世界は、そうしたことを思い起こさせる貴重な体験であった。

 1997年8月31日記


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