2003/4/26
早稲田大学文学部
福田 宏
あの深い暗闇の中に埋もれているのは我々の生そのものである。別の神の使者がこの世に出で、オリンピアの休戦よりも偉大なる平和を説いていたとしても、オリンピアは、今日の我々にとって、依然として聖なる地であることには変わりはない。飛翔するオリンピアのインスピレーション、利他的なパトリオティズム、芸術への献身、生のすべてを超えていく喜びに満ちたエネルギー。純粋な光によって彩られたこれらのものを、我々はこの世において継承しなければならないのだ。(Marchand [20, pp.80-81] からの再引用)
麗しいギリシアよ! 過ぎ去った価値の悲しい遺物よ!
失われていながら不滅、没落していながら偉大なものよ!
今誰が散り散りになった汝の子らを導き
長年のくびきを解くだろうか
(アーウィン [15, p.210] からの再引用)
BC776-AD393 | 古代オリンピア競技(全293回) |
1506 | ローマの黄金宮殿にて《ラオコーンの群像》が発見される |
1755 | J. J. ヴィンケルマン(1717-1768)の『ギリシア芸術模倣論』 |
1798.7 | ナポレオンのエジプト遠征 |
1813 | スタール夫人(1766-1817)の『ドイツ論』 |
1814 | オデッサでギリシア人秘密結社「フィリキ・エテリア」結成 |
1821.3 | ギリシア独立戦争勃発 |
1824 | E. ドラクロワ(1798-1863)が《キオス島の虐殺》をサロンに出品 |
1829.4.21 | ローマにて考古学通信院 (IfAK, Institut fur Archaologische Korrespondenz, Instituto di corrispondenza archeologica) 設立 |
1830.2.3 | ロンドン議定書によるギリシア独立の国際的承認 |
1830 | プロシア王立博物館の開館 |
1844 | J. H. クラウゼ『ギリシアの体操と競技』[独語]の出版 |
1852.1.10 | E. クルティウス(1814-1916)による有名な演説『オリンピア』 |
1859.10.18 | アテネにて第一回オリンピア競技祭(第二回は1870年、第三回は1875年) |
1868 | M. ティルシュ(1832-1884)の『オリンピアの祭典』 |
1869 | H. シュリーマン(1822-1891)が遺跡の発掘を決意。1876年には所謂「アガメムノンのマスク」を発見 |
1871 | ドイツ考古学研究所(DAI)の設立(帝国機関に昇格したのは74年。ローマ・フランス学院は1873年、イタリア考古学院は1875年) |
1875.10--1881 | ドイツ政府主導によるオリンピア発掘(二回目は1936~42年、三回目(西独)は1952~60年) |
1878.6.13--7.13 | ベルリン会議 |
1880-1886 | ペルガモンの発掘 |
1882 | チェコ・ソコルによる第一回祭典 ―― 《スラヴ的オリンピアーダ》 |
1883.10.4 | 「オリエント急行」運行開始(パリからイスタンブールまで) |
1886.6.28 | ウィーン第一体操協会にて「アーリア的」古代五種競技が行われる |
1889 | アナトリア鉄道着工(1892年アンゴラ線、1896年コンヤ線開通) |
1891.3.30 | プラハの博物館 Narodni museum が新しい建物(ヴァーツラフ広場)にて開館 |
1898 | ドイツ皇帝ヴィルヘルム二世がオスマン帝国を訪問(二回目) |
1898 | ドイツ・オリエント協会(DOG, Deutsche Orient-Gesellschaft)の設立 |
1912.6.29--7.1 | 第6回スラヴ・ソコル祭典(プラハ) |
1912.5.5--7.22 | 第5回ストックホルム・オリンピック |
図2: 第6回ソコル祭典(1912年)
《マラトンの戦い》における重装歩兵 出典: Pamatnik [2, p.168].
図3: 第6回ソコル祭典(1912年)
《マラトンの戦い》における人々 出典: Pamatnik [2, p.174].
図4: 第6回ソコル祭典(1912年)
スタディオンの南門 出典: Pamatnik [2, p.45].
図5: 第6回ソコル祭典(1912年)
《マラトンの戦い》における古代五種競技 出典: Pamatnik [2, pp.176-177].
図6: 第9回ソコル祭典(1932年) ―― 《ティルシュの夢》 出典: Pamatnik [3, pp.262-263].
図7: 第9回ソコル祭典(1932年) ―― 《ティルシュの夢》 出典: Pamatnik [3, p.LXXXII].
[省略]
図8: 《ソクラテスの死》
ジャック=ルイ・ダヴィッド(1787年)
出典: アーウィン [15, p.152].
[省略]
図9: ラオコーン(前150年頃・ヴァティカン美術館)
出典: アーウィン [15, p.25].
[省略]
図10: 《ブルートゥスの邸に息子たちの遺骸を運び込む警士たち》
ジャック=ルイ・ダヴィッド(1789年)
出典: アーウィン [15, p.155].
[省略]
図11: オリンピアの発掘(1880年頃)
出典: Marchand [20, pp.88-89].
[省略]
図12: 大英博物館(1823-1847年建設)
出典: アーウィン [15, p.341].
[省略]
図13: 《キオス島の虐殺》
E. ドラクロワ(1824年)
出典: 柳亮『近代絵画史』 美術出版社, 1969年, p.17.