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初期の近代オリンピックとネイション概念の変容
―― チェコ・オリンピック委員会の動向をもとに ――
『北大法学論集』. 50巻4号, pp.388-434, 1999年.


   本稿の目的は、初期の近代オリンピックにおける「ネイションなるもの」の変化を描写することにある。

   19世紀末に創設された国際オリンピック委員会(IOC)においては、チェコ人とハンガリー人がメンバーに任命され、近代オリンピックの活動に最初から関わっていくことになる。ところが、興味深いことに、当時のチェコとハンガリーはオーストリア・ハンガリー二重帝国の一部であり、独立国家ではなかった。それにもかかわらず、両者がそれぞれ単独のネイションとしてオリンピックに参加し、オーストリアが IOC に代表を持たないという「異常事態」が発生したのである。当初はオリンピックにあまり関心を持っていなかったオーストリア政府も、その政治的意味を悟り、ハンガリーとチェコ、特にチェコに対して圧力をかけるようになった。政府によれば、「オーストリアは一つであり、チェコ人もまたオーストリア人としてオリンピックに参加しなければならない」のであった。最終的には、1914年の第六回パリ・コングレスにおいて、オリンピックに参加できるのは「政治的ネイション」だけである、という決定がなされ、オーストリアの一部であったチェコとロシアの一部であったフィンランドは単独のネイションとしてオリンピックに参加する権利を剥奪されたのである。

   本稿では、こうした点に着目し、オリンピックからチェコ人が追放されるまでの過程をたどっている。



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