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ウィル・キムリッカ著. 角田猛之, 石山文彦, 山崎康仕監訳
『多文化時代の市民権 ―― マイノリティの権利と自由主義』
(晃洋書房. 1998年)


 ハンス・コーンは、第二次大戦中に執筆した大著『ナショナリズムの理念』(1)において、「西型」のナショナリズムと「東型」のナショナリズムを区分している。前者は、フランス革命に代表されるような「市民的共同体」を志向するものであり、普遍主義的で自由主義的なものと捉えられていた。それに対し、中欧・東欧、あるいはそれ以外の地域で遅れて発生した「東」のナショナリズムは、過去志向的で非合理的なものであり、既存の国家秩序を破壊し、人間の自由を脅かすものとして立ち現れてきたのであった。この書物が執筆された時期を考えれば、「東型」ナショナリズムの典型例としてナチズムが想定されているのは間違いない。だが、コーンは楽観的な見方を捨てることがなかった。彼は、いつの日か「東型」の偏狭なナショナリズムが克服されるのではないか、という希望を捨てなかったようである。

 だが、結局のところ、「東型」ナショナリズムはしぶとく生きながらえ、21世紀においても、悩みの種であり続けようとしている。かつては自由主義者の「所有物」であったはずのナショナリズム。だがそれは、彼らの手を離れて「非合理的」なものと結合し、最終的には自由主義者に愛想を尽かされてしまったのであった(2)。そして、あくまで理想的なナショナリズムを擁護し続けたハンス・コーン。彼は、ナショナリズムを真剣に捉えようとした「最後」の自由主義者であったのかもしれない。

 ところが、最近になって自由主義思想の中でナショナリズムを「復権」させようとする動きが出てきたように思われる(3)。その中でも最も重要と思われるのが、ここで紹介するキムリッカの著作である。

 ただし、彼はナショナリズムという現象の説明を試みているわけではない。彼は、国家内部に複数の民族(nation)が存在している、という現状認識から出発しており、なぜ民族が存在しているのか、という問題は扱っていない。彼がこの著作で意図しているのは、国家内部におけるマイノリティの権利要求[ナショナリズム]を自由主義と両立するものとして積極的に評価すること、である。

 では、キムリッカは、如何にしてマイノリティの権利要求と自由主義を両立させるのか?

 その鍵となるのは、社会構成的文化(societal cultures) という概念である(111f.)。キムリッカの定義によれば、社会構成的文化とは、社会生活、教育、宗教、余暇、経済生活などの全てにわたって、諸々の有意味な生き方を成員に提供する文化である。この文化は、地域的にまとまって存在し、共有された言語に基づく傾向を持っている。言うまでもなく、こうした独自の文化を形成し維持する能力と意欲は「民族(nation)」に特徴的なものである。その点では、社会構成的文化を民族文化とほぼ一致するものとして考えて良い(118)。

 この社会構成的文化は、我々が特定の信念を抱き、自分自身の人生を歩んでいくうえでの前提条件を提供してくれている。そもそも、我々は、完全に自分自身の基準に基づいて価値判断を行っているわけではない。αという文化に属する人物Aがある価値を評価するとき、それは、α文化がその価値に付与している意味をA自身が理解する、ということを示している。その意味では、Aが完全に自由な立場で特定の信念を選択し、それに従って生きるということはあり得ない。つまり、社会構成的文化が存在して初めて、個人が自律した個人として生き、有意味な人生を送っていると感じることができるのである。以上の理由により、自由主義者は、自由主義者である前に「民族主義者」となり、自分が所属している民族文化(=社会構成的文化)のみならず、他人が所属している民族文化(=社会構成的文化)をも尊重しなければならない、ということになる。

 ただし、国家内部に存在するすべての「民族集団(national group)」に同等の権利を認めて良い、という話ではない(14f.)。キムリッカは、自らの伝統的居住地に住み、独自の社会構成的文化を持つ集団を民族(nation)、個人や家族を単位とする移民によって形成された集団をエスニック集団(ethnic group)と呼び、両者を区別している。後者は、エスニック文化権、すなわち自らの文化の独自性や文化への誇りを表明する権利のみを持つとされ、各民族が享受するはずの自治権や特別代表権といった権利は不必要とされている(44-46,264-269)。アメリカ合衆国、カナダ、オーストラリアにおいて典型的に見られるように、移民は各個人や家族の自発的な意志によって発生した集団であり ―― もちろん、そうでない場合もあるが ――、自分自身の社会構成的文化によって構成される独自の共同体を新天地において再創造する意図を持っていないと見なすことが可能なのである。

 また、キムリッカは、民族やエスニック集団による権利要求を「対外的防御 (external protections)」と「対内的制約 (internal restrictions)」に区分し、後者を自由主義と対立するものとして退けている(50-63, 163-173)。前者は集団間の平等を促すものであり、マイノリティ文化の成員が置かれている不利な環境を是正するものである。その限りでは、対外的防御は自由主義と矛盾するものではない。しかし、集団がその成員に対して、自分が所属している社会構成的文化からの離反を禁じ、特定の価値観を押しつける、といった対内的制約は、明らかに自由主義に反しており、否定されるべき要求である。

 さらに、国家内部に存在する反自由主義的集団をどのように扱うのか、という問題が挙げられる(226f.)。個人の自律に価値を置かず、そのメンバーが伝統的な慣習に疑問を呈したり異を唱えたりする権能を制限するような集団が存在するとき、自由主義者は如何に対応すべきなのだろうか?

 原則としては、ある集団がその成員に対して行う個人権の侵害は対内的制約であり、許されるものではない。だが、反自由主義的集団に自由主義の諸原理を押しつけるというのも微妙な問題であり、結局のところ、自由主義者は国内における反自由主義的集団と共存していくしか方法はない。もちろん、自由主義者は事態を傍観していればいいのではなく、反自由主義的集団によって行われる不正義に反対し、その集団が自らの文化を「自由主義化」しようとして行う努力に対しては支援をすべきだ、ということになる。

 以上の説明により、マイノリティ集団の権利保護は、自由主義と矛盾しないばかりか、自由主義から必然的に要請される基本事項として位置づけられることとなる。この結論に至るまでのキムリッカの論理は非常に明快である。本書は、マイノリティの権利要求[ナショナリズム]を自由主義思想の中で捉えることに見事に成功した著作として評価することができよう。ただし、問題点がないわけではない。

 第一に挙げられるのは、社会主義に関する説明が不充分であったという点である。キムリッカは、レーニンやスターリンによって主張された民族的マイノリティの平等が、社会主義闘争における一つの戦略として持ち出されたものにすぎないと説明しただけであり、「正統派」社会主義者によって「異端」として扱われたオーストリアのオットー・バウアーやカール・レンナーの「民族自治論」については触れていないのである(102-110)(4)。この点は、レーニンやスターリンによる民族問題の理解のみが、社会主義者の間だけではなく、自由主義者の間においても「蔓延」してしまったという事実を反映しているのであろう。あくまで印象論であるが、オーストロ・マルクス主義、特にカール・レンナーによって生み出された「民族自治論」は、(意外なことに?)キムリッカの主張と相通ずる部分を持っていると思われただけに、本書で見過ごされてしまったのは残念であった。

 第二の問題は ―― キムリッカ本人も指摘しているが ――、本書によって行われた主張が、非西洋社会においてどの程度通用するのか、という点である(i-vi,382-383)。その点で重要と思われるのが、本書のキーワードとなっている「社会構成的文化」という概念であろう。この社会構成的文化は、ゲルナーの「高文化 (high culture)」(5)と親和性の高い近代的な概念として用いられているために(113)、「近代化」を経験していない集団は、本書における考察の対象から外れてしまう可能性が出てこよう。もちろん、本書は非西洋世界を扱ったものではないし、それを理由にしてキムリッカを批判することはできまい。この問題については、むしろ、非西洋世界に住む我々が考えるべきことなのであろう。

 2001年3月13日記
 

  1. Hans Kohn, The Idea of Nationalism : A Study in Its Origins and Background, New York: Macmillan, 1944, 1948 (4), esp. pp.329-330, 574-576, 21-24. <戻る>
  2. この点については、藤原帰一 「なぜ国民が語られるのか」 『歴史学研究』 747号、2001年3月、37頁、を参照。ただし、19世紀の自由主義者にとって、ナショナリズムの位置づけはそれほど明確なものではなかった。例えば、アクトン卿が、諸民族の間に隔たりがあり、それぞれがその内部で自分たちの独自の生き方をしたいと願うとき、それは、国家権力の肥大化と濫用を抑制するのに役立つ、と主張したのに対し、J.S.ミルは、多民族国家において自由な制度を実現することは「不可能に近い」と主張したのであった(74-76)。<戻る>
  3. 評者は未読であるが、その嚆矢となったのは Yael Tamir, Liberal Nationalism, Princeton University Press, 1993 であった。<戻る>
  4.  
  5. ただし、313頁、註(24)では、「例外」としてバウアーの名前が挙げられている。バウアーについて邦語で読める文献としては、上条勇 『民族と民族問題の社会思想史 ―― オットー・バウアー民族理論の再評価』 梓出版社、1994年、がある。しかし、民族自治論の骨子部分がカール・レンナーによって構築されたにもかかわらず、この著作においては彼の功績がほとんど紹介されていない。なお、レンナーの著作については、以下の文献が重要である。Karl Renner, Der Kampf der Osterreichischen Nationen um den Staat, Vol.1: Das nationale Problem als Verfassungs- und Verwaltungsfrage, Leipzig/ Wien, 1902; idem., Das Selbstbestimmungsrecht der Nationen: In besonderer Anwendung auf Osterreich, Vol.1: Nation und Staat, Wien, 1918. <戻る>
  6.  
  7. E. ゲルナー、加藤 節訳 『民族とナショナリズム』 岩波書店、2000年。特に59-65頁を参照。<戻る>


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